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2009年7月 8日 (水)

静岡のちょっと気になる謎を追え

静岡ジンの常識?!

「静岡という地名の由来は?」
「浜名湖で養鰻が始まったのは何故?」
「お茶の郷、静岡だから耳にするヤブキタの意味とは?」

「うーん、聞いたような・・・知らないような・・・」そんな普段はあまり意識しない、ちょっとした静岡の“謎”を調査してみました。

みなさんは、一体どこまで静岡県のことを知っていますか?

それでは、早速こちらから。

【静岡という地名の由来】
当時、「静岡」は駿府または府中と言われていたそうです。
ただ、府中という言葉は、特定の地名ではなく、地方の拠点を表す言葉であったため、明治2年(1869年)廃藩置県を前にして、このまぎらわしい名称を避けるため、明治政府が地名の改称を命じてきました。
そこで、協議された結果、一度は賤機山(しずはたやま)にちなみ「賤ケ丘」と決まったそうですが、駿府学問所の初代校長の向山黄村先生から「賤機山にちなむとは言え、賤(いやしい)丘(おか)ではよくない。それよりも明治となり世の中も静かになったから賤を「静」に、丘を「岡」に代えて「静岡」としよう」との意見があり、現在の「静岡」が誕生したと言われています。
黄村先生がいなかったら、もしかしたら「静岡県」は「賤ケ丘県」になっていたかもしれないですね。

静岡が誇る「浜名湖のうなぎの養殖」について

【浜名湖のうなぎ養殖のはじまり】
うなぎの養殖は明治12年(1879年)服部倉治郎が、東京ではじめたのが最初と言われています。その彼は出張の際、列車の窓から見た浜名湖湖畔がうなぎの養殖に適していると感じたそうです。
その後、明治33年、彼は舞阪に土地を買い本格的にうなぎの養殖を開始し、これを機に浜名湖湖畔では養鰻が盛んになったと言われています。

静岡茶の優良品種の代表的な存在「やぶきた」について

【やぶきた誕生の秘密】
後に「やぶきたの父」といわれる杉山彦三郎が、明治41年(1908年)に竹藪を開墾した畑で育てた茶樹の中から優良な2本を選び、北側の茶樹を「やぶきた」、南側の茶樹を「やぶみなみ」と名付けたそうです。
つまり、「やぶきた」とはそのまま「藪・北」のことであり、南バージョンもあったわけです。その後、このうち「やぶきた」が人気を博して、広く栽培されるようになりました。

静岡のお土産の代表とも言える「安倍川もち」について

【安倍川もち誕生の秘密】
当時、安倍川の山間部には、金を産出する梅ヶ島金山があり、視察に訪れた徳川家康にこの安倍川もちが献上されました。その際に、製法や名前を尋ねられた餅屋が「安倍川に流れる金の粉をすくい上げ、餅にまぶした金の粉餅だ」と答えたところ、家康はその機転を賞して、安倍川にちなみ安倍川もちと名付けたと言われています。

静岡の代表的な遺跡「登呂遺跡」について

【登呂の人口】
もちろん正確な人数はわかっていませんが、登呂遺跡には12棟の住居と2棟の倉庫があったことが確認されています。そして、住居の広さから考えると1棟4~5人、村全体で50人程度が住んでいたと推測されています。ただし、新たな発掘があり、村のエリアが広がるようなことがあれば、また人口の問題は議論されることになるでしょう。

(参考資料『静岡県の不思議辞典』 小和田哲男編集 新人物往来社)

<by ミスターT>


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【静岡ジンの常識?!】目次

20:52 on 2009/07/08 【13】静岡ジンの常識?! |

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