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2007年1月 9日 (火)

鈴木 梅太郎(科学者)

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鈴木 梅太郎(すずき・うめたろう) 科学者 1874年4月7日生

ストレス社会に生きる私達現代人にかかせない栄養素のひとつ、ビタミンB1。それを、発見したのが、鈴木梅太郎(すずき・うめたろう)博士。静岡県牧之原市(旧相良町)の出身です。しかも、世界で初めてのビタミン発見でした。

1874年4月7日、農家の家に生まれた鈴木梅太郎氏は、東大大学院で植物生理科学を研究した後に、東大助教授やヨーロッパ留学など経て、東大農学部教授になりました。そして「米ぬか」からビタミンB1の抽出に成功しました。

しかし日本医学界には、この発見は認められませんでした。そして、翌年ヨーロッパの科学者によって、同じ物質が発見され、この時ビタミンと名づけられたそうです。

現在静岡県には氏の名前を冠した「鈴木梅太郎博士顕彰会」があり、県下の中高生の優れた科学研究に対して「鈴木梅太郎賞」を贈っています。

ちなみに氏の発見したビタミンB1の働きは、3大栄養素の1つである炭水化物の代謝を助け、エネルギーにかえていく事です。ビタミンB1が不足すると、疲れやすくなったり、集中力が低下し、イライラしたりします。さらに症状が悪くなると、脚気(かっけ)になってしまいます。

ビタミンB1は、豚肉・大豆・ゴマ、そして浜名湖名産のうなぎなどに多く含まれています。炭水化物を過剰に摂取しがちな人には不足しやすく、また、スポーツをする人は、そうで無い人の何倍も必要となるそうです。最近はビタミン剤がたくさん出回っていますが、やはり食事から摂取するのが望ましいようです。

これから、ビタミンB1を摂る際は、「これ、鈴木梅太郎さんが、発見したんだなあ」と、ちょっと特別な感情を抱きそうですね?

(by まち娘)


【関連リンク】
[書籍]科学者たちのエピソード20
[書籍]日本の化学の開拓者たち
[書籍]世界にかがやいた日本の科学者たち
[書籍]科学に魅せられた日本人

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静岡有名人列伝 目次

08:53 on 2007/01/09 【07】静岡有名人列伝 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年12月 4日 (月)

柴田 英嗣(コメディアン)

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柴田 英嗣(しばた・ひでつぐ) コメディアン 1975年7月15日生

只今、世間はお笑いブームに盛り上がっています。

柴田英嗣さんは、2人組のお笑いコンビ「アンタッチャブル」のツッコミ担当。相方は白いネクタイがトレードマークの山崎弘也(やまざき・ひろなり)さんで、柴田さんの立ち位置は、いつも向かって右側。

思わず吹き出してしまうような、相方の突拍子もないボケに、ブチ切れた様なツッコミをかます彼の芸は、個性的でスピード感があり、先輩芸人からも、高い評価をうけています。

出身地は静岡県清水(現静岡市)。血液型はB型で、趣味は、散歩とギター。ネタに詰まった時は、公園を走るそうです。

彼らは、プロダクション「人力舎」が運営するタレント養成所スクールJCAを卒業し、1994年コンビを結成します。結成当初は、先輩がつけてくれた「シカゴマンゴ」というコンビ名で活動していましたが、のちに、相方山崎さんの好きな映画『アンタッチャブル』にちなんで、現在の名前に改名します。ちなみに「くさデカ」でおなじみのダイノジと同期だそうです。

下積み時代は長く、転機が訪れたのは、2004年のM-1グランプリ。テンションの高さと、テンポの速いボケ・ツッコミが特徴のその漫才で、見事に優勝し、お茶の間の心を一気に鷲づかみにしました。

現在は、『クイズプレゼンバラエティーQさま』『いきなり!黄金伝説。』『うまッチ!』などの番組で、レギュラーとして活躍中。また、ドリームワークスのアニメ映画『マダガスカル』の日本語吹き替え版では、声の出演を担当。また、CD『だまって俺についてこい』を出すなど、様々な分野で才能を発揮しています。

サッカー王国清水生まれの彼は、サッカーも得意。スポーツ万能で、頭のきれも良く、容姿も備わった彼は、女性からの人気も高いようです。これからも、アンタッチャブル・柴田さんは、その切れ味するどいツッコミでお茶の間を沸かせてくれるでしょう。

(by まち娘)

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【関連リンク】
⇒ 人力舎 アンタッチャブル公式ページ
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動画ポータル・ショウタイム ブロードバンド動画の「ショウタイム」には、映画・ドラマ・アニメ・スポーツ・お笑い・グラビアなどの映像がたっぷり。あなたの気に入る番組が必ずある!

静岡有名人列伝 目次

13:14 on 2006/12/04 【07】静岡有名人列伝 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月 4日 (土)

山縣 苑子(アナウンサー)

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山縣 苑子(やまがた・そのこ) アナウンサー 1982年9月28日生

フジテレビ系土曜日朝の情報番組『めざまし土曜日』のお天気キャスターといえば、小林麻央さんでしたが、彼女は9月で卒業。10月から新しくお天気お姉さんとなったのが、静岡県出身の山縣苑子さんです。

天秤座のO型。静岡にいたのは高校生までで、大学進学はアメリカ。ですから特技は英語とスペイン語だそうです。趣味は、旅行とテニス。休日には買い物をしたり、インターネットを楽しむという彼女は、自分でもブログを持っています。笑顔がかわいい新人アナウンサーの、仕事のことからプライベートまで、いろいろな表情をのぞくことが出来ますよ。

陸上競技歴が長く、短距離走を専門にしていたため、「クラウチング・スタート」が得意とのこと。めざまし土曜日でも、10月からスタートダッシュです!

そんな彼女が、アナウンサーやリポーターを目指すきっかけとなったのは、世界水泳・バルセロナ大会。あの北島選手の世界新記録に大変な感動をおぼえ、これを世界に伝える仕事をしたいと志すようになったのだそうです。2005年には、陸上競技の経験が買われて、「TBS世界陸上」のリポーターに起用され、まずはその夢の一歩を踏み出しました。

昨年、オクラホマ州立大ジャーナリズム学部を卒業。気象学を専攻していたという彼女は、外国語・報道・気候・スポーツに造詣が深いという、まさにレポーターにうってつけの人材です。さらその性格もプラス思考で度胸がある、といいますから、まさにこの職業をするために生まれてきたような女性です。

才色兼備の癒し系・山縣苑子さんの、これからの活躍にも注目しましょう!

(by まち娘)

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【関連リンク】
山縣苑子プロフィール
山縣苑子本人ブログ

⇒ FNS系「めざまし土曜日
小林麻央さんからバトンタッチ!「こちらフジテレビ」記事

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09:21 on 2006/11/04 【07】静岡有名人列伝 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月 9日 (月)

松谷 卓(ピアニスト・作曲家)

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松谷 卓(まつたに・すぐる) ピアニスト・作曲家 1979年8月26日生

長期にわたって人気を博し、最近ではスペシャルとして放映されているリフォーム番組『大改造!!劇的ビフォーアフター』。あの中で流れる、印象的な音楽を手がけたのが松谷卓さんです。静岡県岡部町出身・乙女座のAB型。特技は日本舞踊だそうです。

最近では、映画『いま、会いにゆきます』、長澤まさみ主演『タッチ』『や七人の弔』『県庁の星』などで音楽を担当しました。CM・テレビなどのテーマ音楽を次々と手がけ、音楽界で注目される若手の一人です。

ピアノと日本舞踊を習い始めたのは、5歳の頃。そうして音楽に親しんでいた彼は、中学校時代にシンセサイザーを手にしたことをきっかけとして、音作りを始めることになります。

中学校では美術部に所属していましたが、高校では吹奏学部でクラリネットを担当。1996年、高校二年生の時に静岡音楽館(AOI)主催の「静岡の名手たち」オーディションに合格し、翌年AOIでピアノ・リサイタルを開催。

高校卒業後、アルバム『EPOCH 1 / PLATFORM』でデビューを果たし、2002年、前述の『大改造!!劇的ビフォーアフター』のテーマ音楽を担当したことで一躍有名になりました。

ところで、皆さんは静岡土産『こっこ』をご存知ですよね? 静岡ではとても有名な、たまご型のスポンジケーキ。CMソング「たまごかな~?ケーキかな? こっここっこ~ぴよこっこ~♪♪♪」は、地元の人にはおなじみです。

松谷氏は最近、この『こっこ』の新しい曲を作ったとのこと。といっても「こっこの歌」というわけではなく、しっとりと柔らかい、純粋なインストゥルメンタル、つまり歌詞のない純然たる「テーマ曲」を創り上げたそうです。どんな感じの曲なのか、早く聴いてみたいですね。ちなみに松谷氏も個人的に、お菓子「こっこ」が好きらしいですよ。

<by まち娘>

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【関連リンク】
松谷卓公式サイト
松谷卓氏本人のブログ

⇒ リフォーム番組『大改造!!劇的ビフォーアフター
⇒ こっこのメーカー「ミホミ

【松谷氏が音楽を手がけた作品】
『県庁の星』DVD 2006年10月27日発売(発売から1ヶ月以内なら26%OFF!)
『タッチ』DVD おなじく静岡出身の長澤まさみ主演
『いま、会いにゆきます』DVD
『ビフォー・アフター・コンプリート』CD

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23:00 on 2006/10/09 【07】静岡有名人列伝 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年9月11日 (月)

平野 啓子(ナレーター・語り部)

静岡有名人列伝
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平野 啓子(ひらの・けいこ) ナレーター・語り部 1960年9月8日生

沼津生まれの東京育ち。少女時代には長いお休みのたびに、沼津にある両親の実家で過ごしたそうです。

早稲田大学在学中に第25代「ミス東京」に選ばれ、卒業後は東京都歴史文化財団に勤務します。そのOL時代に「何か自分の趣味を作りたい」と友達に相談したところ、「毎日知らず知らずにやっていることを見つけたら?」というアドバイスを受けました。

そこで気づいたのが「自分はいつも文章を声に出して読んでいる」ということ。こうして彼女は趣味を見つけようとして、「語り」という生きがいと出会うことになったのです。

その後すぐ、キャスター・ナレーターとしての活動を開始。女性としてはやや低音ながら、ゆったりとやさしく、どこか色気のあるその声は評判を呼び、しっとりした美貌とあいまって人気を博します。『おはよう日本』のキャスターや、大河ドラマ『毛利元就』のナレーションなどでの活躍が印象に残っているため、NHKのアナウンサーと思われることが多いですが、いわゆる「局アナ」ではなく、フリーランスの契約アナウンサーでした。

現在はNHK時代のようなキャスターとしての活動よりも、自ら名乗る「語り部」としての活動が中心。音響・美術・照明などに工夫を凝らしたステージの上から語りかける言葉は観客を魅了し、舞台芸術としても高い評価を得ています。ライフワークとも言うべき「平野啓子語りの世界」は、平成9年度文化庁芸術祭大賞を受賞しました。

簡単そうに見えて、実は極めて難しく、奥の深い「語り」という道を選んだ彼女。その道を極めるべく、今もその落ち着いた声で聴衆の心に語りかけています。

<by Ko>

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【関連リンク】
静岡のこと話そう 平野啓子氏対談

⇒ 朗読CDシリーズ『心の本棚~美しい日本語」日本の詩歌』
『平野啓子のクリスマス・キャロル』

『声に出して読みたい日本語』 齋藤孝
『ちびまる子ちゃんの音読暗誦教室』 齋藤孝/さくらももこ

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09:11 on 2006/09/11 【07】静岡有名人列伝 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月 6日 (日)

外山 ひとみ(写真家)

静岡有名人列伝
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外山 ひとみ(とやま・ひとみ) 写真家

富士市生まれ、東京都在住の女性写真家です。

県立吉原高校2年生の時、彼女は買ったばかりの一眼レフカメラを手に、富士山にある親戚の山小屋にお手伝いにゆきました。そこで運命の作品「御来光」を撮影します。

この1枚は「芸術展写真コンテスト」で市長賞を受賞。この時のことを「嬉しかった!」と素直に語る彼女は、これをきっかけにとして写真に魅せられます。

翌年出品した「少林寺けん法の投げ」で、市長賞を二年連続受賞。短大在学中に二十歳で初の写真集を出版。早熟の女流写真家として、周囲からは順風満帆に見えましたが、本人曰くこの頃は「笑っちゃうほどの貧乏」で、大事なカメラを質屋に出し入れする日々だったそうです。

彼女は、写真撮影を職業とする「カメラウーマン」というより、被写体を通して社会や人間のエネルギーを見つめようとする「フォトジャーナリスト」に近いでしょう。時代の空気を切り取る手段として、「写真」を選んだ表現者。

初写真集『家』は、住み慣れた我が家の解体を前に、複雑な想いを抱く住人の表情を追った作品。初期の代表作『十代のツッパリ少女(1と0の世界)』では、原宿の街で不安定な心をもてあます女の子たちにレンズを向け、近年はヴェトナムなどアジア地域で激変する、ひとびとの生活にピントを合わせています。

進むべき道を自分で決め、自分で切り拓き、自分で走る。そうやって生きてきた人にしかない強さを持った彼女は、原風景たる富士山を愛しながら、世界へ深いまなざしを向ける「アジアのかっこいい女」となっています。

<by Ko>

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【関連リンク】
外山ひとみ 公式ホームページ
⇒ 外山ひとみによるフォトエッセイ『ヴェトナム颱風(タイフーン)

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09:31 on 2006/08/06 【07】静岡有名人列伝 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月18日 (日)

川口 能活(サッカー選手)

サッカーさぽ~た~ず
静岡有名人列伝
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川口 能活(かわぐち・よしかつ) サッカー選手 1975年8月15日生

ジーコJAPANの正ゴールキーパーは、富士市出身。キャプテンとして高校サッカー全国優勝を果たした清水商業時代に脚光を浴び、高校卒業後は横浜マリノス(現横浜F・マリノス)に入団。1995年にはJリーグ新人賞を受賞します。
その後、海外に移籍。ポーツマスFC→FCノアシェランでプレーした後、地元チームのジュビロ磐田に戻ってきました。

彼の日本代表歴は長く、1992年のU-20に始まり、94年にはU-22日本代表に選出。いわゆる「日本代表」であるA代表となったのは、97年のことです。

98年のワールドカップフランス大会では予選3試合とも出場するも、勝利をあげることができずに敗退。02年の日韓大会では、控え選手となり一度も出場機会を得られませんでしたが、ジーコJAPANになってからはほぼ全試合出場。日本の「不動の守護神」として06年ドイツ大会へとチームを導いてきました。

179センチという身長は、ゴールキーパーとしては小柄ですが、それを補って余りある反射神経と俊敏さ、勇敢さを備えています。また、非常に集中力が高いことも特徴で、舞台が大きければ大きいほど、追い込まれれば追い込まれるほど、信じられないくらいの素晴らしい動きを見せてくれます。

1996年アトランタ五輪でビッグセーブを連発しブラジルに勝利した「マイアミの奇跡」。
2000年アジアカップ・サウジアラビア戦での鉄壁の防御。
2004年アジアカップ・ヨルダン戦での、まさかの逆転PK。

これら大舞台での活躍は「川口に神が降りてきた」と評されるほどで、彼のここ一番での勝負強さと集中力を語る上で外すことができません。

3度目となる世界一の大舞台・ワールドカップでは、熱い想いとその集中力で、日本のゴールを守ってくれることでしょう。

[追記 2006.06.23]
皆様ご存知のとおり、日本は予選リーグ敗退となりました。対オーストラリア戦1-3、対クロアチア戦0-0、対ブラジル戦1-4と、世界に対して「力負け」という観のあった今回大会では、代表チームへの失望の声が多く聞かれます。

そんな中で、逆に評価を高めた数少ない選手の一人が、この川口選手です。暑さで足の止まるプレーヤーが多い中での孤軍奮闘。特にクロアチア戦でのPKは、彼の驚異的な勝負勘を証明する美しいセーブでした。

辛口な海外メディアも、「ゴールキーパー川口に、日本は救われた」「川口がいなかったら、日本チームはもっと悲惨な結果になっていただろう」と、彼個人に高い評価をつけています。
川口は「英雄」 ドイツ紙が評価
GK川口がベスト11に 伊スポーツ紙
川口の活躍で決勝T進出に望み 英PA通信
中国紙が川口選手を絶賛「歴史的活躍」
クロアチアFWスルナ、川口の好セーブに脱帽

また、6月23日のブラジル戦で、国際Aマッチの出場回数が通算92試合に達し、キング・カズを抜いての日本代表選手単独2位にランクされました。ちなみに1位は井原正巳選手の123試合です。

富士の少年は、日本代表の守護神に成長し、世界のカワグチとなりました。比較的選手生命が長く、経験と勘が重要なゴールキーパーというポジション。ベテランとなったこれからも、彼はまだまだ進化し続けることでしょう。

最後に富士市出身らしい、彼の名言を。

世界には富士山より高い山はあるけれど、富士山より美しい山はないと俺は思っている。

サッカーでもそうありたいよね。

日本よりサッカーが強い国は何十とある。でも、いつの日か、日本のサッカーは真似が出来ないほど美しいと言われるようになりたいんだ。

川口能活

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【関連リンク】
川口能活オフィシャルサイト
ジュビロ磐田オフィシャルサイト
清水商業高等学校HP

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09:10 on 2006/06/18 【05】サッカーさぽ~た~ず, 【07】静岡有名人列伝 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月17日 (土)

高原 直泰(サッカー選手)

サッカーさぽ~た~ず
静岡有名人列伝
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高原 直泰(たかはら・なおひろ) サッカー選手 1979年6月4日生

三島市出身。市立山田小学校にあがると同時にサッカーを始め、東海第一中学、清水東高校とサッカーに熱中する少年時代を送ります。

中学3年生の時に16才以下の日本代表として選出され、アジアユース選手権で優勝したのを皮切りに、各年代の代表チームで活躍するという、華やかな道を歩みました。高校2年の時に行われた広島国体では、静岡県代表チームを全国優勝に導く実績をあげています。

高校卒業後は、ジュビロ磐田とプロ契約。初めてJのピッチに立った試合で、いきなりゴールを決めるという衝撃的なデビューを飾ります。日本代表にもしばしば選出され、シドニーオリンピック、アジアカップなどに活躍の場を得ました。2001年頃から海外リーグでプレイをするようになり、2006年現在はドイツ・ブンデスリーガが彼のフィールドとなっています。

プレイスタイルは、日本人には珍しいバリバリの点取りフォワード。181センチの身体を生かした高くて強いヘディングや、ゴール前でパスを受けてからの反転シュートなどで相手ゴールをこじ開けます。「フォワードは得点しなくてはいけない」としばしば公言するため、結果がともなわない時に大変強い批判をあびますが、それは自分を追い込むための、彼なりのパフォーマンスなのかもしれません。

2002年のワールドカップでは代表選出確実と見られていましたが、大会直前に「エコノミークラス症候群」と呼ばれる血栓症を患い、まさかの代表落ち。その悔しさをばねにして今回のドイツ大会にたどり着いた彼は、強い想いを抱いてピッチに立っているはずです。

ドイツの気候にもっとも慣れている彼。「前を向いたときの強さ」が精神的な意味でも、肉体的な意味でも指摘される彼。高原選手のその強さが、ゴールを貫くことを期待しましょう。

<By Ko>

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【関連リンク】
TAKA-WEB 高原直泰オフィシャルサイト
高原直泰ブログ(マネージャーによるブログ)

『高原直泰~原点~ 増補改訂版』
『Goal gate  高原直泰1979ー2003 』
『高原直泰物語 ~夢のゴールに向かって~』

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2006年6月 5日 (月)

小野 伸二(サッカー選手)

サッカーさぽ~た~ず
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小野 伸二(おの・しんじ) サッカー選手 1979年9月27日生

2006年ドイツ大会の日本代表の1人として選ばれた小野選手は、沼津市出身。小さな頃から「天才サッカー少年」としてたいへんに有名な存在でした。

93年、13才にしてU-16(16才以下)の日本代表に選ばれ、94年にはアジアユース選手権で優勝。
高校時代は、名門・清水商業の中心選手として活躍し、国体での静岡県選抜2年連続優勝の原動力となりました。高校卒業後は浦和レッズに入団し、プロとなります。
98年の韓国戦でA代表デビューし、翌99年にAFC年間最優秀ユース選手賞を受賞。
01年には、オランダリーグ・フェイエノールトへ移籍します。
02年日韓ワールドカップでは見事フル出場を果たし、ベスト16に進出。
04年のアテネオリンピックではオーバーエイジ枠で出場、若い日本代表チームを引っ張っていきました。

彼の素晴らしいところは、なんといっても「巧みなボールさばき」です。美しいドリブル、柔らかいタッチのピンポイントパス。リフティングにいたっては神業と言っていいほどで、代表の合宿中でも、小野のリフティングを真似する選手が後を絶たないとか。

そんな彼も、たび重なるケガで苦しい時期を何度も過ごしてきました。「天才児」はそれでも諦めず地道に努力を続け、現在ジーコJAPANの中でもおおいに信頼される存在となっています。自身3度目の出場となるワールドカップではどんな活躍を見せてくれるのでしょうか。

最後に余談。小野選手の「伸二」という名前は、お母さんが大好きだった牧伸二師匠にあやかってつけられたものだそうですよ。

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【関連リンク】
小野伸二公式Webサイト
『小野伸二増補改訂版 ~天才の素顔~』
『Shinji  世界のOno!小野伸二のすべて!!』
『ShinjiーOno.DVD』
『シリーズ・素顔の勇者たち  小野伸二  ベルベットパスへの軌跡』
『小野伸二物語 黄金のカルテット 』

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09:00 on 2006/06/05 【05】サッカーさぽ~た~ず, 【07】静岡有名人列伝 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月 8日 (月)

佐藤 雅彦(メディアクリエイター)

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佐藤 雅彦(さとう・まさひこ) メディアクリエイター 1954年3月28日生

戸田村(現沼津市)出身。一応肩書きを「メディアクリエイター」としましたが、この人は「○○である」という定義を受け付けない、独創性のかたまりのような人物です。

名前だけでは、「誰?」と首をひねる方も多いでしょうが、「ポリンキー」「スコーン」「ドンタコス」「バザールでござーる」「モルツ」「ピコー」などのCMを作った人と聞けば、「ああ、あのCMを!」とうなずかれることでしょう。

厳格な地元名士の父と、専業主婦の母の間に生まれた佐藤氏は、幼少の頃から、オリジナリティを重視する一風変わった子だったようです。ただ遊ぶのではなく、遊びを「作る」のが大好き。ものごとは、それが「どうやって作られているのか」ということに強い興味を持つタイプ。すでに偉大なクリエイターとしての片鱗を見せていたんですね。

高校では数学に熱中、東大在学中はアイスホッケーの戦術立案にのめりこみます。広告代理店に就職した彼は、上記のような名作CMを手がけた後、退職して独立。「I.Q.」という大ヒットゲームソフトを作ったかと思えば、社会的ブームとなった「だんご3兄弟」を世に送り出します。

現在は慶應大学で教鞭をとり、研究室ぐるみでNHK教育の人気番組『ピタゴラスイッチ』の監修を行うなど、多方面で活躍中です。

CMプランナーでメディアクリエイターでプロデューサーで教育者。どれをとっても独自のまさに「一流」。どんな枠組みにもおさまらない、この当代きっての鬼才は、肩書きなしの「佐藤雅彦」という存在だと言っても過言ではありません。

<by Ko>


【関連リンク】
佐藤雅彦公式ホームページ
佐藤雅彦×茂木健一郎対談(約2時間に及ぶ音声ファイル公開中)
「佐藤雅彦」をTNC楽天ブックスで検索
⇒ NHK教育テレビ「ピタゴラスイッチ
⇒ 佐藤氏がCMの多くを手がけた「コイケヤ」のページ
⇒ CD「だんご3兄弟
⇒ 「I.Q.」シリーズ「I.Q.mania

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09:00 on 2006/05/08 【07】静岡有名人列伝 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月 9日 (日)

長澤 まさみ(俳優)

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長澤 まさみ(ながさわ・まさみ) 俳優 1987年6月3日生

磐田市生まれ。父は、ジュビロ磐田初代監督、長澤和明氏。父方の祖父が清水でみかんを栽培しており、みかんを運ぶモノレールに乗って山の上へ行くのが、小さい頃の楽しみだったんだそうです。

2000年、父の友人・中山雅史、生田智子夫妻の薦めで、第五回東宝シンデレラオーディションに出場。35,153人の中から、グランプリに選ばれました。同年、映画『クロスファイヤー』でデビュー。2003年には、日本アカデミー賞、新人俳優賞を受賞しました。

彼女の出世作となったのは、2004年に公開された映画『世界の中心で、愛をさけぶ』。白血病に襲われた少女・アキの気持ちにより近づくために、髪の毛をすべて剃るなど、体当たりの演技が話題となり、日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を史上最年少で受賞しました。その後も、様々な映画やドラマに出演し、現在では日本を代表する若手女優に。

この春、彼女は高校を卒業。今後は、女優業に専念していくとのことです。社会人として、責任をもって一歩一歩進んでいきたい。でも、いつも通りの自分でいたい。ナチュラルでピュアな雰囲気を残しつつ大人になってゆく、今後に期待です。


【関連リンク】
東宝芸能 公式ホームページ
長澤まさみ関連の本・CD・DVD

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2006年3月 6日 (月)

豊田 佐吉(発明家・実業家)

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豊田 佐吉(とよだ・さきち) 発明家・実業家 1867年2月14日~1930年10月30日

遠江国山口村(現・湖西市)に、大工の長男として生まれました。小学校を卒業すると父の大工仕事を手伝っていましたが、貧困にあえぐ村の暮らしを見て、村を、ひいては日本を裕福にしたいと考えるようになりました。そして学問の必要性を強く感じ、東京から新聞を取り寄せたり、村の同士を集めて「夜学会」を開いたりしたのだそうです。

18歳で、人生の転機が訪れます。専売特許条例が公布され、日本でも先進諸外国同様、有益な発明には特許が与えられ、その権利を守れるようになったのです。佐吉はこれを聞き、「発明を生涯の仕事にしよう」と決意します。

彼は、母親が「はたおり」の原始的な機械に苦労する姿を見て、手機の改良を試みました。研究を重ね、24歳で豊田式木製人力織機を発明、特許を取得します。更にこの織機を改良し、取り扱いが簡単で効率の良い糸繰返機(かせくりき)を発明、大成功を収めます。その資金を元に、動力で織る織機を開発し、事業を拡大していきました。

佐吉は64歳で亡くなるまで、自動織機の改良を続けました。生涯で彼が取得した特許権は84件、実用新案は35件にも及びます。事業は息子の喜一郎氏に受け継がれ、自動車をはじめとする、日本の産業の発展の礎となったのです。

<by あおい>


【関連リンク】

人物叢書『豊田佐吉』

TOYOTA 豊田佐吉記念館案内ページ

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09:00 on 2006/03/06 【07】静岡有名人列伝 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年2月 7日 (火)

原 ひさ子(女優)

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原 ひさ子(はら・ひさこ) 女優 1909年8月6日~2005年12月5日

兄2人姉1人の四人兄姉妹の末っ子として、静岡市に生まれました。

旧制不二女学校時代は文学少女で、勤めに出ている母や兄の留守番をしながら、本棚から手当たり次第本を引っ張り出しては読んでいたそうです。短歌好きな兄の影響もあり、短歌を作って雑誌に投稿したことも。その頃の夢は小学校の先生で、まさか女優になるとは露ほども考えていなかったのだそうです。

女学校卒業後、東京の伯父の家に養女に行くことになり、上京。東京の母の「これからは女も手に職をつけなければいけない」という言葉に促され、1933年前進座に入団、新橋演舞場での『牛を喰らふ』で初舞台を踏みました。

1961年にNHKの教育番組『良太の村』でおばあちゃん役を演じてからは、150センチの小さな体と愛らしい笑顔で、「日本のおばあちゃん」の代名詞的存在に。『ロングバケーション』『踊る大捜査線』など、最近の名作テレビドラマにも数多く出演し、お茶の間で親しまれました。

米ニューヨークタイムズ紙では「日本の現役最高齢の女優」と紹介され、90歳を過ぎても「生涯現役」にこだわり続けた原さん。亡くなった日は、いつものように散歩をし、大好きな『笑点』を見てゲラゲラ笑い、中華料理を食べ「おいしかった、ごちそうさま」と言うと椅子に寄りかかって目を閉じ、眠るように旅立たれたのだそうです。

彼女のように優しく、穏やかに歳をとっていきたい。そんな想いを抱かずにはいられません。

<by あおい>

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⇒ 訃報「女優・原ひさ子さん死去、ほのぼのおばあちゃん役

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2006年1月12日 (木)

澤登 正朗(サッカー)

サッカーさぽ~た~ず
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澤登 正朗(さわのぼり・まさあき) サッカー選手 1970年1月12日生

2005年11月、「ミスターエスパルス」が、現役引退を発表しました。1992年の清水エスパルス創設以来、14シーズンに渡って10番を背負い、チームを引っ張ってきた澤登選手。日本平スタジアムで行われた対鹿島アントラーズ戦で、地元サポーターに別れを告げました。

富士宮市出身、東海大一高(現・東海大翔洋高)時代には、全国制覇も経験しています。東海大に進み、卒業後清水エスパルスに入団。1993年には、初代Jリーグ新人賞を受賞しました。

豊富な運動量と卓越した技術を武器に長く第一線で活躍。リーグ最多の380試合出場を成し遂げ、Jリーグ誕生後13シーズン連続得点をマーク。これらの記録が、引退によって途切れてしまうのは、残念なことです。

「自分のプレーすべてを出し尽くした。悔いはない。」と現役時代を振り返る澤登選手。移籍することなく、清水一筋だった選手生活は今シーズンで終わりますが、彼のサッカー人生はまだまだこれから。指導者となって再びピッチに立つことを、サポーターも願ってやまないでしょう。


【関連リンク】

澤登正朗 公式ホームページ

清水エスパルス 公式ホームページ

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2005年12月 8日 (木)

長谷川 博(アホウドリ研究家)

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長谷川 博(はせがわ・ひろし) アホウドリ研究家 1948年10月3日生

静岡のお茶農家の長男として生まれ、自然に囲まれて育ちました。小さい頃から山や川で昆虫を捕っていた少年は、県立静岡高校に進み生物部に入部します。野鳥に強く興味を持ち、早起きしてラジオで鳥の鳴き声を聞いたり、放課後や休日は鳥を探して山野を歩いたんだそうです。鳥を友達のように思い、いつしか鳥の研究を志すようになりました。

京都大学大学院在学中、アホウドリを研究するため来日したイギリス人・ティッケル博士と出会います。アホウドリは、全長約90センチの大型の海鳥で、別名「沖の太夫」と呼ばれています。東京から580キロ離れた伊豆諸島の鳥島には、かつてたくさんのアホウドリが住んでいましたが、羽毛採取目的の乱獲のため、当時絶滅の危機に瀕していました。「日本で繁殖するアホウドリの研究は、日本の鳥類学者の仕事だ。」博士の話に大いなる刺激を受けた長谷川氏。1976年、自ら鳥島に渡り、アホウドリ保護の活動を始めます。この時、鳥島での生息数はたったの69羽でした。

以来、アホウドリの研究・保護に携わって30年。彼が営巣地を整えるなどの努力を重ねた結果、現在では生息数は1000羽を超えたんだそうです。長谷川氏は今年、長年にわたるアホウドリの保護研究と、この種の復活への貢献により都民文化栄誉賞、吉川英治文化賞、全米野生生物連盟自然保護功労賞などを受賞。「アホウドリ先生」は今日も、東邦大学理学部で教鞭をとりながら、アホウドリを通じて地球の環境改善を呼びかけています。


【関連リンク】

東邦大学メディアネットセンター アホウドリ復活への軌跡


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2005年11月10日 (木)

里見 浩太朗(俳優)

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里見 浩太朗(さとみ・こうたろう)俳優 1936年11月28日生

富士宮市出身、本名は佐野邦俊。歌の上手な美少年だったといいます。富士宮北高在学中、「NHKのど自慢に出場し、地区予選で優勝。卒業後は歌手を志して上京します。

東京では、魚河岸で働きながら歌のレッスンに通いました。1956年、東映第三期ニューフェイスというオーディションを受け、見事合格。東映に入社し、銀幕のスターを目指します。

最初にもらった芸名は、桂小五郎を適当にもじった「鏡小五郎」。次は長谷川一夫の一夫と、故郷の川の名前をとって「富士川一夫」と名乗りました。里見浩太朗になったのは、実質的デビュー作『天狗街道』から。東映のヒット作『里見八犬伝』が由来なんだそうです。

1958年、『金獅子紋ゆくところ』で初主演。その後、2代目佐々木助三郎役として、17年間『水戸黄門』に出演しました。2002年10月より、5代目水戸光圀役で14年ぶりに『水戸黄門』に復帰。現在は強くて優しい黄門様を演じています。

最近は時代劇だけでなく、現代劇をはじめ、司会や声優にも活躍の場を広げている里見氏。アメリカに別荘を持っており、撮影が終わると渡米することが多いそうです。趣味はゴルフで、次なる夢は、アメリカのシニアプロだという話です。


【関連リンク】

里見 浩太朗 オフィシャルサイト


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2005年10月13日 (木)

上原 ひろみ(ジャズピアニスト)

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上原 ひろみ(うえはら・ひろみ)ジャズピアニスト 1979年3月26日生

浜松市生まれ。6歳でピアノを始めました。 ジャズ好きなピアノ教師の影響を受け、小学生時代からアメリカ人ジャズピアニストの演奏に熱中します。ヤマハ音楽教室では作曲も学びました。人気アニメの主題歌を編曲し、小学校の音楽会で披露して観客をあっと言わせたことも。この頃から、国内外のユニセフチャリティーコンサート、ジュニアオリジナルコンサートに多数出演していました。

20歳の時、ヤマハ音楽支援制度で留学奨学支援を得、法政大学を中退して渡米。バークリー音楽大学に留学し、作編曲科で履修しました。在学中、全米各地のジャズフェスティバルに参加し、高い評価を得ます。卒業を控えた頃、名門レーベル「テラーク」から日本人第1号アーティストとして全米デビュー。その後大学を主席で卒業、国内デビューに至ります。

デビューアルバム「アナザーマインド」の売上は10万枚を突破し、2003年度日本ゴールドディスク大賞で、ジャズ・アルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞。テクノやロックをジャズに取り入れるなど、ジャズの枠にとらわれないユニークな音楽性や技巧は、聴く人をとりこにしています。


【関連リンク】

ヤマハ音楽振興会による上原ひろみ公式ページ

ユニバーサルミュージックによる上原ひろみ公式ページ


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2005年9月 8日 (木)

さくら ももこ(漫画家・作家)

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さくら ももこ(さくら・ももこ)漫画家・作家 1965年5月8日生

漫画『ちびまる子ちゃん』作者。静岡市清水区出身。元サッカー日本代表の長谷川健太氏とは、小学校の同級生なんだそうです。

漫画を書き始めたのは、高校時代。作文のテストでエッセイを評価され、それをきっかけに独自のエッセイ漫画を考案します。1984年、静岡英和学院短期大学在学中に漫画家デビュー。卒業後、出版社に就職しますが、執筆活動が忙しくなり退職。2年後、地元清水での自身の幼少時代をモデルにした『ちびまる子ちゃん』の連載を開始します。

ユーモラスかつ、静岡の気候をそのまま漫画にしたようなほのぼの感が人気を呼び、ちびまる子ちゃんは大ヒット。テレビアニメ化されると視聴率は20%を超え、「平成のサザエさん」と言われるようになります。さくら氏が作詞を担当した主題歌『おどるポンポコリン』は、1990年の日本レコード大賞を受賞しました。

その後さくら氏は数々のエッセイを出版、オールナイトニッポンのパーソナリティをつとめるなど、漫画以外の分野でも活躍しています。昨年2004年にさくらももこ氏はデビュー20周年を迎え、その分身『ちびまる子ちゃん』は今年でテレビアニメ放映15周年。これからも、お茶の間をほんわか沸かせる存在であってほしいです。


【関連リンク】

ちびまる子ちゃんの関連書籍

さくらももこ氏の著作

テレビアニメ『ちびまる子ちゃん』の公式ページ

「ちびまる子ちゃんランド」のあるエスパルスドリームプラザのページ


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2005年8月10日 (水)

水鳥 寿思(体操選手)

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水鳥 寿思(みずとり・ひさし)体操選手 1980年7月22日生

2004年夏、アテネオリンピックで男子体操チームが28年ぶりに金メダルを獲得しました。その中のひとり、水鳥選手は静岡市出身です。

元体操選手の父・一夫氏は、本業の大工仕事の傍ら葵区に「水鳥体育館」を建て、五輪選手を誕生させたいと、夫婦で指導にあたっていました。6人兄弟の3番目に産まれた寿思氏も、6歳で体操を始めます。

生まれつき体が硬く、体操選手としてはマイナス面が多く見られた彼。父の目はどうしても、素質に恵まれた兄や弟に向きます。いつか認められたい。反対を押し切り、岡山の名門・関西高校に進学。その後、日本体育大学へ。高校・大学時代、何度も競技生活を脅かす大怪我に見舞われますが、自分を信じて努力を続けた寿思氏。それが実を結び、アテネに出場。水鳥一家の長年の夢が叶った瞬間でした。

人一倍努力すること、失敗しても決して諦めない忍耐力を持つこと。それらを中学時代までコーチだった父親から学んだのだそうです。アテネでは、代表に選ばれることが目標だったと言う彼。3年後の北京では、個人での金メダル獲得を目指します。


【関連サイト】
JOC アテネ五輪選手団ページ
インターネット百科事典ウィキペディア 水鳥寿思


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2005年7月14日 (木)

十返舎 一九(作家)

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十返舎 一九(じっぺんしゃ・いっく)作家 1765年~1831年

各地に寺子屋ができ、庶民も文字が読めるようになった江戸時代後期。弥次郎兵衛と喜多八のずっこけ2人組が、江戸品川から東海道を下り、伊勢参りをすませ、京大阪を見物する「東海道中膝栗毛」という滑稽本が、江戸中の話題をさらっていました。

作者は、駿河府中(現静岡市)出身の十返舎一九。本名を重田貞一といいます。駿府町奉行所同心、重田氏の次男らしいのですが、出生には不明な点が多い人物。奉行所に勤めたのち、大阪に転勤となったのを契機に、近松門左衛門の門を叩き、役人と作家の2足のわらじ生活を始めます。

彼は謡曲、狂言、書画等に通じていて、かなり教養のある武士だったそうです。役人を続けながら浄瑠璃本を書き上げますが、結局武士家業をやめ、江戸へ。多くの黄表紙本や洒落本を発表し、貧乏ながらも作家を業とするようになりました。そして「東海道中膝栗毛」出版後、洒落本作家としての地位を確立します。

江戸文学に数々の功績を残した一九は、病のため67歳でこの世を去りました。彼は、自分の死を予期しており、前日、頭蛇袋に線香花火をつめておいて、火葬場で弔いの人々を驚かせたそうです。最期まで、洒落た人生を送ったようですね。


【関連サイト】
『東海道中膝栗毛』


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2005年6月 9日 (木)

片山 伸次(力士)

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片山 伸次(かたやま・しんじ) 力士 1979年9月6日生

2005年5月8日の大相撲夏場所で、新入幕が決まった片山関。県内出身の幕内力士は、潮丸関以来3年ぶり、昭和以降でも6人目だそうです。

焼津市に生まれ、小学校4年で相撲を始めました。中学時代は柔道部に在籍していましたが、その間も稽古を続け、高校から本格的に相撲に取り組みます。専修大学4年時には、全日本選手権3位という、輝かしい成績を残しました。

そんな実績がありながらも、2001年から規制が厳しくなったことで、片山関も前相撲からスタート。幕下まで順調に昇進しましたが、2003年の夏場所で7戦全敗。「魂のこもった稽古三十番と、何も考えない三十番はぜんぜん違う。」と自分の甘さに気付きます。

彼を影で支えるのは、女手ひとつで育ててくれた母親。強くなって、絶対に親孝行がしたい。その気持ちで、泥だらけの稽古を重ね、新入幕を掴み取りました。

幕内では決して大きいとはいえない179センチの体を闘志でカバー。それまでの学生相撲出身力士とは一味違った土俵人生を、黙々と歩み続ける彼には、ひたむきな押し相撲がよく似合います。


【関連サイト】
goo 大相撲名鑑 片山伸次


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2005年5月12日 (木)

林 哲司(作曲家)

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林 哲司(はやし・てつじ)作曲家 1949年8月20日生

富士市出身。歳の離れた兄の影響で、幼少の頃からアメリカのポップスを聞いて育ちました。ベンチャーズ、ビートルズに憧れ、高校時代にエレキギターに目覚めます。20歳の頃、ヤマハが主催する音楽スクールに入り、音楽雑誌「ライト・ミュージック」の編集に携わりました。

高校時代から書き溜めてきた曲をベースに、1972年本格的なアーティスト活動を開始。シングル「僕の隣りの孤独」でデビュー。

その後は、作曲家としての活動が中心となります。杏里「悲しみがとまらない」、中森明菜「北ウイング」、上田正樹「悲しい色やね」等のヒットで、人気作家に。作詞家・康珍化(浜松市出身)との静岡コンビは、1980年代のJ-POPを語るには欠かせない存在です。

手掛けた作品はなんと1500曲以上。現在は三島市在住で、エッセイスト、テレビやラジオのコメンテーターと幅広く活躍中。平成15年度のNEWわかふじ国体で、式典総合プロデューサーに就任したのは、記憶に新しいところです。また先日、富士コミュニティエフエム放送が創立され、取締役会で社長に選出されました。


【関連サイト】
林哲司オフィシャルウェブサイト


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15:29 on 2005/05/12 【07】静岡有名人列伝 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年4月14日 (木)

本田 宗一郎(実業家)

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本田 宗一郎(ほんだ・そういちろう) 実業家 1906年11月17日~1991年8日5日

磐田郡光明村(現天竜市)の生まれ。正真正銘のいたずら小僧で、裏山のスイカに穴を開けて中身だけ食べてしまったり、正午の鐘を勝手についてお昼ご飯にありついたり、といったことをしていました。

1914年ごろ、「村に自動車が来る」という話を聞きつけた彼は飛んで行き、その圧倒的な存在感・音・匂いにすっかり魅了され、「いつか自動車を作ってみたい」という夢を胸に抱きます。

15歳で上京。自動車修理工の見習としてアート商会に入社。6年の間、修理に関してだけでなく、顧客への接し方、誠意を学びました。22歳の時、浜松にてアート商会浜松支店を開業して独立。しかし修理業に飽き足らず、当時まだ日本でほとんど作られていなかったピストンリングの製造に着手、アート商会はあっさり譲り渡して、東海精機工業株式会社を設立します。

戦後その東海精機も退職した彼は、1946年、東海精機の跡地に50坪ほどの小さい工場を建てました。これが「本田技術研究所」です。

その後、補助エンジン付自転車を開発。昼夜を問わず研究を続け、5年後には日本一のオートバイメーカーに。四輪の研究も進め、1962年、鈴鹿サーキットでのお披露目会で自らスポーツカーのハンドルを握りました。この時55歳。夢が叶った瞬間でした。

彼の夢は戦後日本の夢であり、ひたすら前を見て突き進む姿は、戦後日本人の姿そのものだったかもしれません。


【関連サイト】
⇒ 本田宗一郎氏が創業した本田技研工業株式会社
⇒ 本田宗一郎氏が設立した本田財団


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15:02 on 2005/04/14 【07】静岡有名人列伝 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年3月10日 (木)

栗原 はるみ(料理研究家)

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栗原 はるみ(くりはら・はるみ) 料理研究家 1947年3月5日生

この2月に「料理界のアカデミー賞」こと、グルマン世界料理本大賞で、大賞を受賞した彼女。世界67ヶ国、5000冊を超える応募の中から選ばれました。日本人としては初の快挙だそうです。

出身は下田市。厳格な純和風の家庭で育ち、料理といえば、母親の作るものが全てだった彼女に、新しい料理の世界を教えたのは、兄とその友人でした。彼らの職業はカメラマンやデザイナー。スポーツカーに乗り、ピアノも弾く。

グルメでお洒落な彼らは毎週末、別荘でパーティーを開きます。そこでの料理は、ボーンステーキにマッシュポテト。カレーにはマッシュルームで炊いたご飯を添えて。和食しか知らなかった彼女には、すべてが新鮮に写りました。「珍しくて、人生を変えるような経験だった」。

その後、仲間の1人、ニュースキャスターをしていた栗原玲児氏と結婚。2人の子供にも恵まれ、家庭を守る主婦として暮らしていましたが、来客時の料理が友人の間で評判となり、玲児氏の勧めもあって料理番組のアシスタントの仕事を始めます。それをきっかけに、料理研究家の道へ。

現在は、器使い・花飾りから家事・収納まで、楽しい暮らしのアイデアを提案し、レストランなどのプロデュースも手がけています。主婦の視点で身近な材料を使った親切な彼女のレシピは、幅広い層に支持されています。


【関連サイト】
グルマン世界料理本大賞受賞作『栗原はるみのジャパニーズ・クッキング』
栗原はるみさんの著作一覧
栗原さんちのごはん


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14:52 on 2005/03/10 【07】静岡有名人列伝 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2005年2月10日 (木)

研 ナオコ(歌手・タレント)

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研 ナオコ(けん・なおこ)歌手・タレント 1953年7月7日生

♪あきらめました あなたのことは もう 電話もかけない…♪
失恋した時やしっとりとした気分に浸りたい時、彼女の歌を口ずさむ人も多いはず。

天城湯ヶ島町(現伊豆市)のわさび農家に生まれました。歌手になって両親を楽させてやりたいという気持ちから、高校を中退し上京。エレベーターガールをしながら、美空ひばりのような歌手を目指し、歌のレッスンを受けます。

1971年、「大都会のやさぐれ女」でデビュー。この曲は意外にも演歌調でした。そのあと楽曲は、タンゴやブルースをベースにしたものまで、かなり幅広くなっていきます。

しかしなかなか売れず、この曲がダメだったら歌手をやめよう、と挑んだ「愚図」が1975年大ヒット。その後も数々の名曲を残しました。歌手活動と同時に、「カックラキン大放送」「時間ですよ」などに出演し、タレントとしても一躍有名になりました。

芸歴は早くも30余年。2人の子供にも恵まれ、充実した人生を送られているようです。


【関連サイト】
研ナオコ著のエッセイ『家族リレー ナオコんちの場合』
「ケンズファミリー」 研ナオコプロデュースの事務所公式ページ


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14:44 on 2005/02/10 【07】静岡有名人列伝 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2005年1月13日 (木)

鈴木 光司(作家)

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鈴木 光司(すずき・こうじ) 作家 1957年5月13日生

浜松市出身。小学校6年生の時、巨大なイカダで太平洋を横断する小説を書きました。卒業文集の将来の夢は、「7つの海の冒険旅行」。海に憧れる少年時代を過ごしたようです。

浜松北高校在学中はロックを愛し、卒業後は慶応義塾大学文学部仏文科に進みます。大学時代は演劇に熱中し、シナリオ執筆、演出を手がけました。

1990年に「楽園」で日本ファンタジーノベル大賞の優秀賞を受賞し、作家デビュー。高校教師であった妻に代わり、2人の娘を育てながら執筆した「リング」「らせん」「ループ」は大ベストセラーとなり、映画化・テレビドラマ化され、日本にホラーブームを 巻き起こしました。

以降、子育て体験を元に「家族の絆」などのエッセーも多数執筆し、「文壇最強の子育てパパ」を自認。バイク・格闘技が好きな肉体派作家の彼は、主夫業と執筆のかたわら、週2回はジムに通って体を鍛えているそうです。

年に何度か、自らヨットを操船してのクルージングにも出掛けていて、近々、長年の夢「ヨットでの太平洋横断」にチャレンジするらしいですよ。


【関連サイト】
鈴木光司氏の代表作『リング』
鈴木光司氏が優秀賞を受賞した『日本ファンタジーノベル大賞』のページ


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14:21 on 2005/01/13 【07】静岡有名人列伝 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2004年12月 9日 (木)

北条 政子(歴史・政治)

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北条 政子(ほうじょう・まさこ) 歴史(政治) 1157年~1225年

平安末期、伊豆の韮山で勢力を誇っていた北条時政の娘に生まれました。

平治の乱で伊豆に流罪されていた源頼朝と恋に落ち、平氏の力を恐れる周囲や父親の反対を押し切って結婚。1185年、壇ノ浦の戦いで頼朝が平家を滅ぼした結果、政子は「征夷大将軍の妻」となります。頼朝の死後、出家して尼となり、幕府内の北条氏の地位向上に努めた彼女は「尼将軍」と呼ばれます。

政子は、日本の数少ない女性政治家の中で最も有名な人物ですが、あまり良い印象を持たれていないようです。幕府を守るために、実の子を犠牲にしたり、父親を失脚に追いやったりしたことが、「強いが、冷酷な女」という評価を生み出しているのでしょう。しかし、子を失うことへの嘆きをつづった史料なども残されており、むしろ情熱的な女性だったようです。

武士社会である鎌倉幕府を、女性である政子が守り続けることは容易ではなかったはずです。夫の遺志を継ぐことと、「子供や孫の成長を見守りたい」という普通の女性としての望みの間で板ばさみになりながらも、気丈に決断し続けた悲劇の人。そんな風に彼女を見ることもできるかも。

ともあれ、彼女が日本史上最大級の女傑であることは間違いなさそうです。


【関連サイト】
歴史小説『北条政子』 永井路子 文藝春秋
ネット百科事典ウィキペディア「北条政子」


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14:08 on 2004/12/09 【07】静岡有名人列伝 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004年11月11日 (木)

久保田 利伸(ミュージシャン)

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久保田 利伸(くぼた・としのぶ)ミュージシャン 1962年7月24日生

蒲原町で生まれ、高校時代から音楽の道を志した久保田氏。その頃すでに、レゲエなどのオリジナル曲を自作していたというから驚きです。

1981年、駒澤大学入学をきっかけに上京、ギタリストの羽田一郎氏とアマチュアバンド「ホッテントット」を結成します。ライブハウスでの下積み時代に作成されたデモテープは、ファンの間では伝説になっているとか。

1982年に出場したコンテストでベストヴォーカル賞を受賞後、まずは作詞家としてのスタートを切ります。4年後、『失意のダウンタウン』でシンガーとしてのデビュー。アメリカのブラックミュージックにとどまらず、アフリカの民族音楽やジャマイカのレゲエなど、幅広いジャンルの音楽を取り入れ、1995年には長年の夢である全米デビューを果たしました。

実は彼、元日本ハムファイターズ・広瀬哲郎氏の中学時代の後輩。その縁あって、某ソーセージのCMに出演し、広瀬氏とも共演していましたよね。

現在はニューヨークを活動拠点とし、先日結婚を発表。12月にはパパになる彼は、今後も日本のR&Bを引っ張っていってくれることでしょう。


【関連サイト】
『FUNKY JAM』(久保田利伸所属事務所)
ソニー・ミュージックによる久保田利伸公式ページ


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13:40 on 2004/11/11 【07】静岡有名人列伝 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2004年10月14日 (木)

ピンク・レディー 未唯&増田 惠子(歌手)

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ピンクレディー 未唯(みい) 歌手 1958年3月9日生
ピンクレディー 増田 惠子(ますだ・けいこ) 歌手 1957年9月2日生

ご存知、1976年8月「ペッパー警部」でデビューのアイドルデュオ。セクシーな衣装とユニークな振り付けで一世を風靡しました。

2人の出会いは静岡市の中学校。文化祭の劇で姉妹の役を演じることになり、親交を深めたそうです。とにかく歌が大好きだった2人は同じ高校に進学し、休み時間は階段の踊り場で歌っていたとか。いつも寄っていたレコード屋で、ヤマハのオーディションのポスターを見て応募を決意。合格後はプリッツとファンタグレープを買いこみ、電車で浜松までレッスンに通う日々でした。車内で歌っていると乗客からうるさい、と言われ、連結部で練習したことも。

1974年5月、ピンクレディーの前身である「クッキー」を結成。2年後、当時のアイドルの登竜門「スター誕生」でグランプリを受賞し、「ピンク・レディー」として本格的に活動を開始しました。

デビュー後は「S・O・S」「渚のシンドバット」「UFO」などヒットを連発。4年7ヶ月活動し、1981年に解散しますが、1996年、デビュー20年を記念して再結成されます。それ以降は、2人そろって当時と変わらぬ衣装で度々テレビに出演、未だ人気が衰えることはありません。今日もどこかのカラオケで、だれかが彼女たちの曲を振り付きで熱唱していることでしょう。


【関連サイト】
ピンク・タイフーン[ピンク・レディーの総合情報ページ]
未唯 mie [未唯さん公式ページ]
増田惠子オフィシャルホームページ
ユニバーサル・ミュージックの増田惠子公式ページ

『ピンク・レディーフリツケ完全マスターDVD Vol.1』
『ピンク・レディーフリツケ完全マスターDVD Vol.2』
『ピンク・レディー メモリアルブック』
増田惠子自伝的エッセイ『あこがれ』


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2004年9月 9日 (木)

野末 実(鉄棒おじいさん)

静岡有名人列伝
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野末 実(のずえ・みのる)鉄棒おじいさん 1936年1月1日生

某CMで大車輪を披露して、今日本で一番注目を浴びているおじいさんが、引佐町に住んでいらっしゃいます。

御年なんと68歳。野末さんが初めて大車輪に挑戦したのは中学3年生の時。友達の間で自分だけできなかった大車輪をどうしても成功させたくて、練習を繰り返したのだそうです。卒業後も、家の農業の手伝いを終えた夕方、学校の鉄棒で練習を続けました。以来53年間、練習を欠かすことはなく、今は加えて毎日5キロの山道を歩き、腕立て伏せ100回を連続でこなします。

なぜ鉄棒を続けるのか。野末さんいわく、「日記をはじめ、何も長続きせんかった。これしかないから、やめるにやめられんのです」。近所の子供たちからは「スーパーじいちゃん」と呼ばれ、伊平小学校には「スーパーじいちゃんに挑戦する会」なる授業もあるそうです。

40年以上連れ添っている奥様は、2年前まで野末さんにそんな特技があるとは知らず、毎日夕方になるとどこへ出掛けていくのか、不思議に思っていたという話です。


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2004年8月12日 (木)

清水 次郎長(侠客)

静岡有名人列伝
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清水 次郎長(しみず・じろちょう)侠客 1820~1893年

泣く子も黙る、江戸時代末期の侠客。旧清水市の船侍船頭・ 雲不見三右衛門の子供に生まれました。長五郎と名付けられますが、その後叔父の山本次郎八の養子に出され、「次郎八の家の長五郎」ということで、 縮めて次郎長と呼ばれるようになります。

子供の時から手に負えない乱暴者で、15歳の時次郎八が勘当。 19歳の時、占い師に『25歳までしか生きられない』と言われ、短く太く生きよう、と遊侠の世界にのめりこんでいきます。

そんな次郎長も、山岡鉄舟との出会い、明治維新を契機に侠客を廃業。清水地区の 発展に貢献しました。現在、次郎長が開墾した土地は立派な茶畑となっています。


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2004年7月 8日 (木)

中山 雅史(サッカー)

サッカーさぽ~た~ず
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中山 雅史 (なかやま・まさし) サッカー選手 1967年9月23日生

静岡にゆかりの深い有名人を紹介するこの「静岡有名人列伝。第1回は「蝶のように舞い、蜂のように刺す(本人談)」 炎のゴールハンター・ゴン中山選手にスポットライトを当ててみました。

1994年のW杯予選以来、代表FWの地位を確固たるものとし、1998年に日本がW杯に初出場した時は、日本人ただ1人の「ワールドカップスコアラー(W杯で得点した人)」となりました。運動量が豊富で、相手を追い回して守備にも貢献。現在ジュビロ磐田に所属する彼の明るいキャラクターは、世代や地域を越えて人気があります。

出身地は志太郡岡部町。
〈ゴン〉というあだ名は、彼が大学1年の時、先輩が「オレたちひょうきん族」でビートたけしが扮する「鬼瓦権三(オニガワラ・ゴンゾウ)」に似ていると言ったことから始まったそうです。

なんでも将来は海の見える喫茶店のマスターになりたいんだとか? 闘志むき出しのプレーで私たちの心を熱くしてくれる魂の男・中山雅史。今後もサッカー界にとどまらない活躍を期待したいです。


【関連サイト】
ジュビロ磐田公式ページ


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10:00 on 2004/07/08 【05】サッカーさぽ~た~ず, 【07】静岡有名人列伝 | | コメント (0) | トラックバック (1)

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この「静岡有名人列伝」は、静岡出身・静岡そだち・静岡在住・静岡で活躍など、静岡にゆかりの深い人物を一人ずつ紹介していくカテゴリです。TNCの会員限定メールマガジン「静岡ジン!」に毎回掲載しているコンテンツです。

【目次】上にあるものほど新しい記事です。
鈴木 梅太郎(すずき・うめたろう) 科学者 
柴田 英嗣(しばた・ひでつぐ) コメディアン
山縣 苑子(やまがた・そのこ) アナウンサー
松谷 卓(まつたに・すぐる) ピアニスト・作曲家
平野 啓子(ひらの・けいこ) ナレーター・語り部
外山 ひとみ(とやま・ひとみ) 写真家
川口 能活(かわぐち・よしかつ) サッカー選手
高原 直泰(たかはら・なおひろ) サッカー選手
小野 伸二(おの・しんじ) サッカー選手
佐藤 雅彦(さとう・まさひこ) メディアクリエイター
長澤 まさみ(ながさわ・まさみ) 俳優
豊田 佐吉(とよだ・さきち) 発明家・実業家
原 ひさ子(はら・ひさこ) 俳優
澤登 正朗(さわのぼり・まさあき) サッカー選手
長谷川 博(はせがわ・ひろし) アホウドリ研究家
里見 浩太朗(さとみ・こうたろう) 俳優
上原 ひろみ(うえはら・ひろみ) ジャズピアニスト
さくら ももこ(さくら・ももこ) 漫画家・作家
水鳥 寿思(みずとり・ひさし) 体操選手
十返舎 一九(じっぺんしゃ・いっく) 作家
片山 伸次(かたやま・しんじ) 力士
林 哲司(はやし・てつじ) 作曲家
本田 宗一郎(ほんだ・そういちろう) 実業家
栗原 はるみ(くりはら・はるみ) 料理研究家
研 ナオコ(けん・なおこ) 歌手・タレント
鈴木 光司(すずき・こうじ) 作家
北条 政子(ほうじょう・まさこ) 歴史
久保田 利伸(くぼた・としのぶ) ミュージシャン
ピンク・レディー 未唯(みい)&増田 惠子(ますだ・けいこ) 歌手
野末 実(のずえ・みのる) 鉄棒おじいさん
清水 次郎長(しみず・じろちょう) 侠客
中山 雅史(なかやま・まさし) サッカー選手

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09:00 on 2004/07/08 【07】静岡有名人列伝 | | コメント (7) | トラックバック (0)