星野 一義(カーレーサー)
星野 一義(ほしの・かずよし)カーレーサー 1947年7月1日生
今年は、カーレース世界最高峰である「F1グランプリ」が、「富士スピードウェイ」で行われることから、県内で話題のカーレース。
星野一義(ほしの・かずよし)さんは、日本最高峰のカーレース「フォーミュラニッポン」で、チーム部門のタイトルを、3年連続で獲得している実力派チーム・インパルの監督です。
現在の静岡市葵区玉川に生まれ、こどもの頃から乗り物好きだったという彼は、16歳からモトクロスバイクに乗り始めます。その後、カワサキ・コンバットというバイクレーシングチームに入り、モトクロス・レースを始めました。
和歌山でレースデビューを果たすも、このレースでは転倒し入院。しかしその翌年、全日本モトクロス大会ノービス90ccで初優勝し、1968年にはMFJ全日本モトクロスランキング・セニア90cc、125cc両クラスでチャンピオンになりました。
1969年には四輪のレースへ転向。四輪のドライバーとしても頭角を表し、1975年には全日本F2000選手権のチャンピオンを獲得します。1976年には富士スピードウェイで行われたF1グランプリでティレルというチームからスポット参戦。大雨、旧型のマシンという逆境の中で、最終的にはリタイアとなるものの、一時は3位を走行するほどの活躍を見せました。
その後、全日本ツーリングカーグランプリでチャンピオンの常連となり、ついには「日本一速い男」とまで呼ばれる様になります。
1996年にフォーミュラ・ニッポンから引退。2002年には、現役ドライバーを引退し「日本一速い男」の称号は、本山哲さんに受け継がれました。現在は、その経験を生かし、チーム・インパルの監督として活躍中です。
(by まち娘)
【関連リンク】
⇒ 星野一義 写真と略歴
⇒ インパル オフィシャルウェブサイト
⇒ [書籍]『星野一義 日本一速い男が戦い抜いた33年の記憶』
⇒ [書籍]『GTーR never ends 星野一義がスカイラインと共に闘った18年』
⇒ [DVD]『星野一義ヒストリー』
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