大御所駿府城入城四百年祭
Koです。最近静岡市街を歩いていると、ある彩り豊かなマンホールが目に付くようになりました。
消火栓用マンホールに「大御所家康公駿府城入城四百年祭」の文字と、よろい・富士・そして安倍川らしき川の流れの絵図。
「2007」と刻まれていることからもわかるように、すごーく新しくて色鮮やかなので、ちょっと気をつけていればすぐに見つかると思います。
で、見てお分かりのように、これは「大御所家康公駿府城入城四百年祭」を記念したマンホール。そう。今年2007年は、徳川家康公が大御所として駿府城に入ってからちょうど400年の節目に当たるんですね。つまり、大御所の駿府城入城は1607年のことになります。
そのころの略年表を作ってみましょう。
西暦年 | 出来事 |
---|---|
1600年 | 関が原の合戦 |
1603年 | 徳川家康、征夷大将軍となる |
1605年 | 実子秀忠に将軍職を譲位 |
1606年 | 新・駿府城改築始まる |
1607年 | 7月3日、新・駿府城完成 大御所家康公・駿府城入場 同年12月22日駿府城中より出火 天守・殿舎焼失 |
1608年 | 駿府城修築 |
1612年 | 駿府で岡本大八事件発生 キリスト教禁止令発令 |
1614年 | 大阪冬の陣 |
1615年 | 大阪夏の陣 元和一国一城令、禁中並公家諸法度、武家諸法度制定 |
1616年 | 家康公、駿府にて永眠 享年75歳 |
1635年 | 城下茶町からの出火により 駿府城、天守など大部分を焼失 |
当時の駿府城は大御所の座所らしく、非常によくできた名城。その戦略的意味や、守りの堅さもさることながら、荘厳な富士山を借景に、東海道を往来する旅人の目を楽しませる優美な造りをしていたといわれます。
そしてそのお膝元・駿府の街はきわめて先進的な計画都市であったそうです。風水・陰陽道の考え方を基本に据えながら整えられた、合理的な町並み。東海道の陸運と、安倍川・富士川・清水港などの水運を最大限に活用する、自由交易の街として構想されていたのではないかという説もあります。
人口は17世紀の当時にあって約12万。これは同時期のロンドンの2倍にあたり、駿府が世界的な大都市であったことを示す証といえます。
それにしても、新・駿府城は完成から半年で火災。修築後、27年後にそのほとんどが焼失とは、非常に残念ですね。
今もこの城が残っていれば、観光地としての静岡も、ずいぶんその価値が違っていたでしょうに。なお、東御門の中に、駿府城の模型があるそうなので、みなさんお城にお立ち寄りの際は、ぜひ往年の名城の姿をひと目見てみましょう。
さて、この400年記念の年に当たってどんなイベントが行われるか、ということは、2007年2月中にその大枠が示されるそうです。メインとなるのは、
◆大御所スタイルフェスタ 2007年10月5日(金)~14日(日) 於駿府公園
その他静岡市の主なイベントである
◆静岡まつり 2007年3月31日(土)~4月1日(日)
◆清水みなと祭り 2007年8月3日(金)~5日(日)
◆大道芸ワールドカップin静岡 2007年11月1日(木)~4日(日)
などでも関連行事が催されるでしょう。また市民参画イベントも用意されており、今年は静岡あげてのお祭り騒ぎさぁ!
みなさんも今年は、400年前の英雄と、この静岡のえにしに、思いを馳せてみて下さい。
<by Ko>
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【関連リンク】
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⇒ 久能山東照宮レポート
⇒ 大御所家康の行動の謎を解く!『影武者徳川家康』
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