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2007年5月14日 (月)

高柳 健次郎(技術者)

静岡有名人列伝

※静岡にゆかりの深い人物を紹介するカテゴリです

高柳 健次郎(たかやなぎ・けんじろう)技術者 1899年1月20日生

「無人島に、1つだけ好きな物を持って行ける」。そう言われたらみなさんは何を選びますか?

私は「テレビ」を持って行きたいです。……電気と電波があれば。

テレビとサンタ

ニュースやドラマが見られる、この現代を代表する文明の利器を発明した人が、浜松市の技術者で「テレビの父」こと、高柳健次郎さんです。

1926年当時、浜松高等工業、現在の静岡大学工学部の助教授だった高柳氏。彼がこの年の12月25日に、電波を用いて「イ」という文字を離れた場所に送り、ブラウン管に映し出す事に成功しました。これが世界で初めての映像送受信の瞬間だったのです。ちなみになぜ「イ」だったかというと、「イロハ」の最初の文字だったからだそうです。

もうひとつちなみに、この1926年12月25日に大正天皇が崩御なさっています。つまりこの日に年号が昭和となっており、テレビは昭和とともに産声をあげたことになります。






いったんCM !





高柳さんは現在の浜松市にある浜名郡和田村に生まれました。子供の頃は体が弱く、勉強も苦手だったのですが、機械が好きで模型づくりに熱中していたそうです。学校の恩師に「どんなに難しい問題でも懸命に考え、コツコツと努力すれば分かる」ことに気づかせてもらい、学ぶ喜びを知りました。

そして、自らも教師を目指し、静岡師範学校、現在の静岡大学教育学部に進学。その後東京高等工業学校、現在の東京工業大学へ入ります。そこで、ラジオで声を電波で飛ばせるのなら、映像も電波で飛ばせるはず、と考えました。高柳さんはこれを「無線遠視法」と自ら名づけ、実現させてしまったのです。

 

私の好きな高柳さんの言葉があります。

「先見性を持ち、ひたむきに努力すること。ひとりの天才によって科学技術が進歩する時代は終わり、集団討議によるステップ・バイ・ステップの研究でこそ、大きな成果が期待できる」

ブラウン管テレビを発明後も、高柳さんはテレビの発展と人材育成にその力を尽くしたそうです。なんだか高柳さんの事を調べていると、私も努力すれば、何かをやり遂げられそうな気がしてきました。

(by まち娘)

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