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2010年10月23日 (土)

静岡市は京都のような街並みだった? 今川氏の功績と歴史

ジモティック・コラム

静岡県になじみが深い戦国大名と言えば、まず徳川家康を思いつくハズ。
徳川家康の少年期、晩年は静岡で暮らし、各地でさまざまな功績や文化が残されています。

今回紹介するのは、徳川氏以前に静岡を統治していた戦国大名、今川氏のお話です。

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静岡市葵区にある臨済寺は、今川義元の兄氏輝の菩提寺で、
義元の軍師「太原雪斎」が師匠である大林禅師を迎えて開山したお寺。

ここ静岡県は、もともと守護大名として今川氏が統治していました。

今川氏といえば、戦国時代期の当主、今川義元が桶狭間にて織田信長によって討ち死にしてしまったため、織田信長の引き 立て役というイメージがあるようです。

そんなやられ役がすっかり定着してしまった今川氏ですが、実は将軍家が絶えてしまうようなことがあった場合、その将軍職を引き継ぐ権利を持っ ていたという名家中の名家でありました。

今川氏は、下克上まっただ中の戦国時代に、京都に登ろうとしていた軍事力もさることながら、政治的にも非常に優れた功績を残しています。

財政面では、領内の田んぼや畑をくまなく調査し、その土地や農民に見合った税金徴収システムを作成。そのほか家来や役人に対する給与制度の改革、安 倍金山の開発など行いました。

政治的には、国を統治するため元となる法律「今川仮名目録」を制定し、土地などに関する訴訟の裁定基準を定めるといった、統治に必要 な法律をいち早く取り入れていました。

家柄がよく、軍事的にも政治的にも優れた今川氏はトントン拍子に発展し、東海道に一大勢力を築くことに。駿河の街は今川義元好みの京風文化が花開 き、非常に華やかな街として繁栄していったのでした。

そんな今川氏ですが、桶狭間以降は急速に衰退。
徳川氏、武田氏、北条氏に攻められ、桶狭間からわずか8年で滅亡してしまいま した。

優れた統治や軍事力を持ちつつも、1つの敗退でわずか数年で滅亡した今川氏。
諸行無常を感じてなりません。

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臨済寺の本堂は国の重要文化財に指定されています。

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平成9年に完成した新仏殿。修業寺なので立入禁止区域が多いのですが、
春と秋には特別公開が行われていま す。


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(by 静岡星人)

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