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2015年3月 4日 (水)

井伊直政(いい・なおまさ) 戦国武将

静岡有名人列伝

井伊直政(いい・なおまさ) 戦国武将 1561年3月4日生

徳川家への大きな功績のあった重臣、「徳川三傑」の一人。冷静沈着な為政者の顔と、苛烈で勇猛な武人の顔を併せ持ち、常に前線で戦ったため、いくさ傷が絶えなかったそうです。ちなみに「徳川三傑」のあと二人は、本多忠勝、榊原康政です。

生まれは、現在の静岡県浜松市北区引佐町井伊谷。養母は戦国ゲームなどにも登場する、男性名を持った女性領主で、「女地頭」とも呼ばれる井伊直虎です。

井伊家は今川家との争いの中で所領を失いましたが、1575年に家康に見出されて御家を復活。家康の家臣となります。つまり元からの家康の子飼いではなく、外様の新参者。立身出世にはハンディを負ったスタートとなりますが、武田氏との闘いで立て続けに武功をあげます。

北条氏との講和交渉では政治手腕も発揮し、勇猛なだけの武将でないことを証明。家康の寵愛を受け、武田氏が滅亡したのち、もともと武田臣下の山県昌景の軍装であった、朱色一色の装備を許されます。これが世にいう「井伊の赤備え」です。

記録では、井伊直政は大変な美男であったといい、奥方衆、侍女たちに人気があったそうです。今ならさしづめ「井伊様って、かっこいいよね!」「イケメンよね!」「きゃー!」と言ったところでしょうか。

そんな優男の直政も戦場に出れば、長い角の立った兜をかぶり、真っ赤な鎧で大槍を振るって獅子奮迅の活躍をみせ、「井伊の赤鬼」と恐れられました。関ヶ原以後は、卓抜した手腕で徳川幕府の基礎固めに尽力。毛利氏、長宗我部氏、島津氏など西軍との講和を次々とまとめます。

数々の功績によって、彦根に所領を授かり、井伊家は明治時代になるまで、彦根で繁栄を極めました。桜田門外の変で知られる、井伊直弼はもちろん井伊家の血筋です。

ちなみに彦根城といえば「ひこにゃん」が有名ですが、ひこにゃんがかぶっている、赤くて長ーい角が立っている兜は、「井伊の赤鬼」と呼ばれる由来となった井伊家伝来の兜なんですよ。

まさか直政公も、のちの世で自分の武装が「かわいい~!」なんて言われるとは思ってもいなかったでしょうね。

(by Ko)

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