西郷×鉄舟のマジ会談 ~歴史を変えた伝馬町~
Koです。静岡市に伝馬町というところがあります。
静岡109があるあたりです。
「伝馬」とは簡単に言えば「馬のリレー」。情報伝達のため、人馬をリレーして書簡などを受け渡した仕組みのことで、古代からありましたが、徳川家康公によって日本全国に本格的に整備されたそうです。伝馬町と名のつく町は、その馬リレーの拠点となったところ。宿場町を中心として、静岡市以外にもあちこちにあります。
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静岡市の伝馬町には、街頭にこんな飾りがあるのですが、
伝馬……天馬……ペガサス! というシャレかと思われます。
さて、この伝馬町ですが、歴史的に大変重要な役割を果たしたことがあります。
実は幕末において一大転機をもたらした、西郷隆盛×山岡鉄舟の会談の地なのです。
1868年。明治の世になるほんのすこし前。
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幕府方はすでに大政奉還を表し、京都での戦いに敗れ、最後の将軍・慶喜公は江戸城を出て上野・寛永寺に謹慎していました。将軍を護衛していた高橋泥舟の義弟・山岡鉄太郎(鉄舟)は、幕府方が戦意をもっていないことを伝えるために、新政府軍の下参謀・西郷隆盛の泊まる宿を決死の覚悟で訪ねます。1868年3月9日のことです。
その宿があったのが駿府の伝馬町なのです。
話し合われたのは、幕府方の一大決心「江戸城無血開城」について。歴史上のことがらですから、さまざまな意見がありますが、一般的には首都である江戸・東京を大きな戦火に巻き込むことを避け、欧米列強の介入を回避した英断と言われることが多いようです。
教科書などでは1868年3月14日の西郷・勝会談で、江戸城無血開城が成ったとされていますが、本気の交渉はむしろこの伝馬町での話し合い。駿府の「マジ会談」で大筋が決められて、それを江戸で講和として形式を整えたとも言えそうです。
普段なにげなく通っている場所に、今の私たちに直結する歴史の足跡がある。そんな風に思うとわくわくしますね。
静岡に歴史あり!
(by Ko)
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